昭和50年05月27日 朝の御理解



 御理解 第62節
 昔から人もよけれ我もよけれ人、より我が尚よけれと言うておるが、神信心をしても我身の上のおかげを受けて、後に人を助けてやれ神信心も手習いも同じ事、一段一段進んで行くのじゃ俄に先生にはなれぬぞ。

 信心が一段一段進んで行くのだと、果たしてお互いの信心が一段一段進んで言っておるであろうかと。一段一段進んで行くと云う事。稽古をしておれば必ず進むんです。しかし稽古をしておらなかったら、ただ参っておりますと拝んで居りますと云うだけでは、信心は進まんのです。昨日は久留米の初代教会長先生の帰幽祭で御座いました。御案内頂いとりましたから、私がおかげ頂きました。
 本当に何と言いましょうかね、あれだけ沢山の教え子が居られたのですけれども、本当にそれは淋しい淋しい帰幽祭でした。帰ってから聞かせて頂いたんですけど。久富さんが一諸に高橋さんの車で、まあ三人でおかげ頂いた訳ですけども、丁度霊様のお礼を、霊祭がが始まりました時に、久富さんが頂いとりますのが、お広前いっぱいがくすぼって居ると言うですか、煙が立ち込めておると言うか、是ではもう人がむせかえって人は寄り付かれないだろうと、こう言う訳なんです。
 そうだろうなぁと、私しは思うた事で御座いましたけれども。言わばいろんな問題がくすぶっておると言う事だと思うね。まあー色々な教会長、依頼色々教会長であった善導寺の荒巻先生が亡くなられてこっち、何かいろんな問題があるくすぼっておる。そう言う様な事がまー所謂九州の大徳者と言われなさった石橋松次郎先生の帰幽祭であろうかと思われる位に淋しい祭であった。その事を聞かせて貰って、色々思わせて頂いとったら、合楽のお広前だって同じ様な事ではなかろうかと、こう思った。
 なるほど先日ある教会の御信者さんが、たまたま井上さんのおみちびきで月次祭に御参りして来て、あまりにお参りが多い事やら、お供えが多い事やらでびっくりしてしまって、とても家当たりの大祭でん勝たんと言う様な、初めてお参りしてびっくりしたと言う程しの事に。例えば形の上ではおかげを受けておる。形の上にはおかげを頂いとるけれども、そう言う形のおがげであるところの、実際の信心と云う物が、是は私の信心を振り返って見て思うのです。
 昨日も久留米から帰らして頂きましたら、私の帰りを待っておられる先生方が御座いました。行橋教会の教会長先生と総代さんと二人で見えて、信者控室に待って居られる所へ参りましたら、もう開口一番、今日は合楽示現活動に参画さして頂くおかげを頂きたいと思うて詣りましたと言われました。まあ言うならばこんなに嬉しい事はない訳なんです、私と致しましてはね。こんなに有り難い事はないのです。
 けれども実際言葉ではそうですけれども、実際はそうだろうか、まあそれから暫く私くしの話を聞いて下さった訳で御座いますけれども、応接間に移ってあそこでお茶ども差し上げながら、お話させて頂いとる所へ、丁度日田の綾部さん達が一連れ連れて見えられました。ほれで綾部さんの事この頃の、九州のなんてか九連ですか、あの九州中の信徒会の幹部の方達ばかりの集まる会合が御座います。
 ここの築水からでもそれに参加する教会は、此処と久留米の播磨さんですか、何か二三人しか居らない位のあのう会合がねあるんです。その会合で綾部さんの話を、その行橋教会の娘さんから聞かせて頂いた。娘が話とったお方はあなたの事ですかと言うので、綾部さんがお話しを自分が辿った五年半の間におかげを受けた事を、まぁ色々とお話になりました。もうどんなにそれば話を聞きよってもですね、本なこっちゃあるじゃろうか、と言う話ばっかりなんです。
 と言う程しになら嘘を言っとられると言うか、そのう話を針少棒大に話とられると云う事ではない。そのまんまを話とられるのです。そして私しこの話を頂きながら思いました。是は合楽のおかげを受けた話と言うのは、是は本当な事として聞かれない、本んな事じゃあるじゃろうかと言う様な半信半疑で、まぁ話半分に聞いときゃとちゅうごたる風にしか聞かれん様な感じのお話なんです。それが嘘じゃないのです。
 最近此処で言われとります信心が、是がも少し成就したならば素晴らしか。例えば、二十五年間も、春秋の大祭には雨が降った事がなかったのが、今年からお湿りがあり出した。そのお湿りに合楽に関係のある、いろんな行事が全部そのお湿り、まぁとにかく、お湿りがなからなければ、ちょっと合楽には繋がっとらんと言う位な、純粋な頂きかたを皆さんがしておられる。先日も北野の松山さん所の宅祭りに、ちょうど三十分ばかり遅れて迎えに見えました。
 そして私達が着いたのが六時位だったでしょうか、あちらに着いてお茶一服しよりますと同時に、それこそ一天俄にかき曇って、もうそれこそ夕立まで、雷さんまで鳴っての土砂降りでした。それはもう一時ではありましたけども。その時に秋山さんが二階に上がって見えてから、その事を大変喜ばれるんです。もう、親先生合楽に繋がっている印でありますと、言うて喜ばれるのです。
 ですからそう言う様な、例えば宅祭りではない自分の何かの時に思う、ああ今日は天気があれば良いがと思う時、そう言う土砂降りになった時にです、もう本当に合楽に繋がっとる印だと言うて、有り難くなれた時が本当なもんだと思うですね。宅祭りなら宅祭りの時だけではない、何時でもなら自分の思うと言うか思う言うならば、普通で言うならば今迄のあ過去の合楽の信心で言うならば、例えば間違てると云う風に反省する事でしょうけれども、出たとこ勝負その事その事態、事態を有り難く受けて行くと言う。
 それこそ生きてもおかげ、死んでもおかげと云う様なおかげ話なら、皆んながまぁある意味で素晴らしいと言う実感のあるお話に成って来るけれども、合楽の場合は二十五年間お湿りが無かったとが、それこそおかげを受けた話ばっかりの話を聞くならば、もうほんな事じゃあるじゃろうかと言う様な感じのお話で御座います。綾部さんのお話を頂きょって、もういっちょも針少棒大でもなからねば、大きな事を言っとられる訳ではない。そのままだけど果たしてそれを聞いとられる先生が、しかも。
 娘からも聞かせて頂いておったその話を、また聞かせて頂いた、ほうほうと云う様なお話なんですけれども、果たしてそれがどの位相手の信心に、信心心をを促す事であろうかと。只ほうほうと聞いておるだけで、それを自分の信心に頂こうと言う意欲に、どれだけ相手にかきたてる働き力があるであろうか。そんな事を思わして頂いて、久富さんがそのう昨日、久留米で頂かれたと言うくすぼっておると言う、成程合楽はくすぼっては居ないから、人が沢山の集まるかも知れんけれども。
 まぁ色々考えさして頂いて、私くしは今日はこんな事を考えました。もう兎に角金光様の御信心は全ての事に有難い、有難いと言うて例えば家内を見ても有難い、子供達を見ても有難い、まあ本当にどの子を見てもおかげを頂とると思うて有難い、もう本当におかげを受けておる所見れば有難い、有難いですね。それが金光様の御信心だと思わして頂くのですけども、今日はそれとは反対。
 家内を見ても、まあ惟だけおかげを受けておって是で良いだろうか、子供達を見てもです、言うなら若先生から子供、今息子達が四人ながらお道の教師としてお取立て頂いて、まあー教会内で御用頂いとるがどの一人一人を見て、惟だけのおかげを頂いておりながら、是で良いだろうかと云う所ばっかりなんです。なら御信者の一人一人見せて頂いても、惟だけ日々有難い御理解を受けながら、頂きながら。
 まあどうした信心の進まない事だろうか、解らない事だろうかと言うならば、不平不足に満ちた言うならば周辺であることよ、と今日思うのです。ね。家内を見ても一人一人の子供を達を見ても、一人一人の御信者の上を思うても、見ても本当に惟だけのおかげを受けておる、惟だけのおかげを受けておるのに、之だけの事で良いだろうかと。して見ると私くしだけがおかげを頂いとると言う事になるですけれども。
 結局ならどう云う事か言うと、んなら家内を見ても子供達を見ても、信者の一人一人を見ても、此の様に言うならば相済まない信者であり、子供であり家内であると云うかぜに見えて来る時に、そんならギリギリそう言う周辺の中にある私くし自身と云う物がです、是で良いのかと言う事になるのです。これは不平でもなからねば不足でもない。是はもう一遍私くしの信心を、もう第一歩からやり直さなければいけないなあ、そう言う気持ちが仕切りとするんです今朝は。
 だからね一切を有り難く見ると言う在り方もですが、もうそれこそ難儀に満ちた不平不足に満ちた、まあ言うならば出すね、是でよいだろうかと子供達の一人一人を見ても。まあ本当にまぁ是で之達は良かと思うとるとじゃろうか、是で本当に立ち行くだろうか、と。惟は私の家族中のもの一人一人を見た時にです、是で良かだろうかと思う所ばっかりが見えて来る、有難い所は一つも見えない、そこでなら不平不足の本当に、なら癇癪でも回す事あると言うたら信心はないですわね。そうでしょう。
 けれども私しは今日は一つの発見だと思うのですけし。今日の御理解から言うと一段一段と信心も進んで行くと言う事なんですけれども。私くしはそう言う意味で昨日から今日にかけて、又一段進んだ様な気が致します、ね。皆さんの有様と云う物をです眺めさして頂いて、もう本当に良かち、あんたどん思うのと言いたい様な事ですけども、それを言うたんじゃ信心にならん。結局それ程しのものしか与えきってない私くし。なら子供達にしてもそれだけにしか育てきってない、教育が出来ていない私なのです。ね。
 子供達の言うならば有様がです、ね。家族の者の日々の在り方からです、も少しは増しな信心が身に付いておらねば相済まんのだけれども、果たして皆んなはどんなに考えておるのだろうか。と言うのはこの頃は少し家の漬物が臭うなったと言う様なもんじゃないだろうか。どうして臭うなったじゃろうかと、重石の軽い事を知らなければいけないと言うのが信心ですよ。
 どうして家の漬物んなこう臭うなったじゃろうか、重石が軽かっちゃん結局、教会長である私くし自身の信心を改めて見直さして貰う。今まではどう言う例えばつまらない信者と言うては失礼ですけれども、つまらない信者の姿を見ても、どんなに子供達が目に余る様な事を見ても、けれども見方を変えれば、あれでもお礼を言わなければならんと言うて、お礼を云う事ばぁっかり答えを出す信心から、ね。その周囲の状態を見て、是で良いだろうかと言う事にならせて貰う時にです。
 そこに不平不を言う、言うならば癇癪の一つも回そう事あるその心ではなくてです、是は私自身の信心をもう一遍見直さなければならない、もう一歩一段と信心を進めねばならない。そんなら今迄の信心じゃこの程度の事だから、こりゃーもう一歩第一歩からやり直さなければいけないと云う風な感じがする訳であります。それが私は一段、一段と信心を進めて行く事だと思います。先日東京から、毎月歌舞伎座の御本を毎月送ってきます。歌舞伎の御本を二冊宛送って来るのです。
 その中に今歌舞伎でやっている中に奥の細道と言う松尾芭蕉のまぁ言うなら一代記の様なお芝居をやっっております。雁次郎さんが演ずる所の芭蕉、小丈夫さんが演ずる所の去来。所謂俳句の聖人神様と言われた芭蕉の話を劇にしたのです。勿論実録を元にして作製されたお芝居らしいですけれども、芭蕉翁と云う事を申しますけれども実際は芭蕉翁と言うには余りにも離れた、五十一才を一生に終わっとるのですからね。それは時代感覚が違いますから、昔の五十と言えばやっぱり随分お爺さんに見えましたよね。
 けれどもその翁と言うには余りにもかけ離れた感じがする。昔は人間人生五十年と言われたのが、七十年とか七十何年とか言われる位ですからね。五十でも今から言うとやっぱり七十がた、あったのではないでしょうか。そのお芝居がね矢張り二十三才の時に江戸に出て、所謂俳諧の先生を目指す。是で生活をする積りでまあー出たんです。所が実際はそう甘いものでなくて、それこそ今まで言うならば、アルバイトをしながら惨めな生活をしながら、俳句の勉強をした訳です。
 引き立て取り立てる人があって、まあ言うなら俳句の庵を結んだと言うのが三十四、五才位です。もう言うならば江戸でも押しも押されもせぬ俳句の宗匠として、身を立てた訳です。それこそ綺羅星の様なお弟子さん達が沢山出来た訳です。立派な財産を持った人、地位を持った人。ね。その頃は言うなら芭蕉の有頂天時代だと言うても良いでしょう。所が余りにもその俳句の内容と云う物が、遊びの俳句である事に気が付いた。
 それから自分の地位も名誉も言うならば捨ててしもうて、奥の細道を書いた様な、所謂北陸地方へ俳句の修行に出ると言うのですかね。さすらいの旅に出る訳なんです。私のその物語の荒筋を読ませて頂きながら感動したです、本当に信心も矢張りそうだと、私くしの今日皆さんに聞いて頂いとるのは、もし是が許される事ならば、もう一切のものを捨てて、言うなら諸国行脚にでも出たい様な心持ちです。
 ギリギリ自分の信心と云う物がです、それこそ芭蕉の三十五年の有頂天時代、沢山の信者が例えば出来て、立派なお城の様なお広前が出来て、それこそお供えはもうそれこそもう言うなら腐るほど沢山頂ける様な身分にならせて頂いたのですから、言う事なかろうけれども。今日の私の心と云う物はね。子供達の姿を見家内の姿を見、もうその一切を捨ててしもうてからでも、もう一遍第一歩からやり直したい様な心持ちがするんです。そしてならばその信心をです。
 私が今日まで言うならば、築きに築いて来たこの信心と云う物はです、結果に於いてこの状態であると云う事。四人の息子、成程お道の教師に取り立てて頂いたが、そのどの一人を見て是で良いのと思われるのは一人も居ないと云う事。成程是ならば私の信心を間違いなく受けて呉れるであろうと思われる様な子供は、一人も居ないと云う事。この家内が私の何十年つれ添って来た、妻だろうか家内だろうと思うたら、幻滅を感ずる程しの事なのです。
 ならだから家内がつまらんのか、子供達がつまらんのかと言うと、そうではない。真実を言うたら私くし自身がた、しかない私しだと言う事に気が付いた訳なんですね。だから何時も頂く御理解は、どう言う中からでも有難いものをと言う事でしょう。今日はそうでなくて、どの一字どの事から思うてもです、
   (以下30行位テープが切れている)
 不平不足の充満した言うならばね、もう言うなれば、癇癪の一つも起こしたい様な中にある私くしと言う事に気が付いた時にですね、結局それは重石が軽いからだと言う事を思わして頂いた時にもう一遍なら、第一歩から信心の遣り直しをしなければ居られない様な一つの衝動すら感じるのです。と言うて御道の信心がです墨染めの衣を着て托鉢どもして歩いて、山にも籠もっとれば良い様な信心でない事は皆様ご承知通りです、妻やら子供様には難儀を携えながら。
 その引提げながらその中から信心を判らせて頂こう。真の道を判ろうと言うのがお道の信心であってみれば、それを捨てる事すらも許されない私のです。芭蕉の様にさすらいの旅にでも出たいのだけれども、それが許されないのがお道の信心なんです。お道の信心はそげなもんじゃないです。唯問題は自分自身の石の軽い事を覚らして頂いた、この苦しい中にその不平不足不満の充実した中からでう、新しい信心を求めて行く以外はない、と言う事に気付かせて頂いたと言う事は。
 言うも更なりですが、それは私の信心が又一段と進んだと、言う事になるんじゃないでしょうかね。信心は一段、だから私の気持ちを聞いて貰うたら、理解が出来なさらないかも知れん。惟だけお蔭を頂いとられる中に、ちゃんと座っとられさえすれば良かっちゃから、それでは私しの心が許さない程しに、私しの信心はまあ昨日を境に進ませて頂く事が出来るのじゃなかろうか。その焦点は何処にあるかと言うとです、それこそ昨日、綾部さんのお話じゃないけれども。
 それこそ只々、本当じゃあるだろうかと云う様な、たまがるお話の連続の中に、有難い間違いがないと言うのではなくて、それとは反対の事の中に、あ、いっちょ今日は降らにゃ良か、かと言う時の中に、その反対になった時にです、そこに愈々信心の有難さと言う事が解らせて頂く時に、只信心の奥と言うか、奥の細道の中に芭蕉の晩年の句に「この道は 来る人もなし 秋のくれ」と言う句があります。
この道を一生掛かりで極めて来たけど、只遊び半分の作る人はあるけれども、自分の命と思える句を作ろう、精進しようと云う者がないと言う事を、その詠の中に含めている様に思います。「この道を 来る人もなし 秋の暮れ」である。だから今日の私の心境を言うと、成程こう言う素晴らしい信心をです、本当に先生の信心に肉迫する程しの信心を、身に付けて来る人がないと言う淋しい話を、今日は聞いて頂いたですけれども、そこから芭蕉はそれで終わったんですけれども。
 私くしは是から、もう一歩私くしに付いて来ねばおられない程しの、誰でもが合点が行く程しの、言うなら降っても照っても真実有難いんだ、おかげだと判らせて頂ける信心を、惟から目指して行くであろうと思います。皆さん皆さんの周辺に有難い事ずくめと言うよりも、
  (この間テープがありません。)
 不平不足、不満に満ちた中にある私と云う物を発見されると、そこから新たな、さらな信心が生まれて来ると思います。不平と言うたり不足を言うたり、癇癪を起こしたんでは、もうそれは信心にはなりませんからね。そこになからねばならない私くしであると言う事実を、ひとつはっきりわからして貰ろうて、所謂漬物が臭くなったのはどうした訳じゃない、重石が軽かった事実を一つ見極めて、そしてもう一歩初めから、白真剣やり直そうと云う所からです、私は誰が聞いても合点の行く様な、誰が聞いても成程と思われる様な信心が、打ち建てられるのじゃないでしょうかね。
    どうぞ。